2007年04月04日

「ほぼ日刊イトイ新聞の本」

「ほぼ日刊イトイ新聞の本」 糸井重里 著  講談社

こういう本はあまり読まないけどこれは良かった!
建築に関わるパンフレット等の作成のために
広告代理店が連れてくる“クリエイター”なるものは
私達の天敵なのですが
この糸井さんの話は建築に携わるものにとっても
共通の悩みであり、思いでありました。
あきらかに「こんな本を読んでるのか」と
言いたげな所長にも無理やり読んで聞かせると
全国の建築士の集まりである連合会に電話して
「全国の建築士にこの本を薦めてくれ。」と
いきなり態度を変えました。
それくらいこの本に書かれた糸井さんの言葉は
私達が日頃感じていることを的確に表現しているのです。
是非建築家に携わる皆様、一読を。
“クリエイティブがダンピングによって衰弱させられているという現実は
デザイナーやライター等のものをつくる人間みんなが肌で感じていることだ。”
“さまざまなクリエイターは、発表の場が限られているために「水子」になってしまっている。
いくらいい詩が書けても、いくらいい絵ができても、
発表の場がなければ、それはなかったのと同じことになってしまう。”

~「ほぼ日刊イトイ新聞の本」より抜粋~
コピーライターを含むクリエイティブの仕事は、
必要のないものだけど、
欲しがられるものだと僕は思っている。
・・
画商のつかない絵描きは食っていけない。
・・
変わったのはパトロンの姿だ。
一人の貴族や金持ちというよりは、
企業やメディアが代役を務めるようになった。
大勢の普通の人が集まって
「集団パトロン」を形成するようになったのも新しい動きだ。
しかし、パトロンが無数に増えたことは同時に、
「口を出す財布」も限りなく増えたということだ。
財布をもった変態もいれば、
口先だけのつまらない文句を言う人間も混じる。
しかも、パトロンの数にあわせてクリエイティブの数も多くなるのだから、
一個のクリエイティブの値段は低下させざるを得ない。
一人のパトロンに気にいられるための競争よりも今の形のほうが、
敗者復活のチャンスも新人デビューの可能性も多いのだから
これはこれでよいのであろう。
問題はクリエイティブの単価が少しも高くならないばかりか、
バナナの叩き売りのようにどんどん安くなっているという現実だ。
その結果、クリエイターにとって、本当につくりたいものがつくりにくくなっている
という状況が、否応なしに進行している。
クリエイティブがダンピングによって衰弱させられているという現実は
デザイナーやライター等のものをつくる人間みんなが肌で感じていることだ。
たとえば広告のコンペティションでは死屍累々の山が築かれ、
作品そのものの優劣よりも他の要素で勝ったり負けたりすることも増えてきた。
やりたいことがやれない、という状況の中でみんなが疲弊してきているのは、
ちょっと業界を知っている人なら、よくわかっているだろう。


自分でイニシアティブを握って行う仕事には、真の喜びや楽しさがある。
実現させるための労力を惜しまないだけ、
これ以上はないというくらいの達成感が味わえる。
メディアやスポンサーのご機嫌みたいなもので左右されるのではなく、
堂々と対等に仕事ができる場を作らなければ、と感じる。
・・・・
僕は、最初に「ほぼ日」をはじめようとしたときに「クリエイティブ」が
イニシアティブを持った「場」がほしいと考えた。勝ちでも負けでもないけれど、
「場」は確かにここにある。
この場で何ができるのか、次々に実験を重ねていくだけで、
僕も含めたその場にいる人々は何かを経験することになる。
これがどういうことなのかじつは僕もよくわかってはいない。
「何かができるような気がする」というのは
それだけでも結構楽しいものなのだ。


懸命に仕事をすることと、いわゆる世間で考えられている幸福な生き方とは、
矛盾することが多い。
ぼく自身「働くことがブームです」と言い回っていたが、
これは働くことが歓びや楽しみと両立しないものかと、
あえて流行りごとのように表現しているわけで、
家族にも、周囲にも、自分自身にさえもかなりの犠牲をしいていた。
・・・
出来上がった安心のシステムに胡坐をかいて、
明日も安心であると笑っていられるような人は、
この時代に存在しないはずなのだ。
芸能界やスポーツ界の栄盛衰のドラマを
みんな他人ごとのように冷笑しながら見ている。
それを論理的にいけないと言うつもりはまったくない。
けれど、「あの人はいま」でとりあげられるのは
じつは見ている自分自身でもある。
その可能性を忘れるわけにはいかない。
世界のシステムが大転換を始めている時代に、
前の時代の幸福感にこだわっていたら、
練習嫌いなスポーツ選手と同じような運命をたどることは
目にみえている。
自分自身がこの世に生まれたことを「よかった」と思えるためには
結構真剣にやっていかなきゃならない。
ぼくはこんないい年になってから、ほんとうにそう思っているのだ。


多忙は怠惰の隠れ蓑
多忙なときっていうのは、現実的な問題がいっぱいあって、
それを現実的に解決したり、解決しかかったりしている状態だ。
そういうときというのは達成感もあるし幸福感もある。
ちっぽけなヒロイズムも満足させてくれるかもしれない。
ひとりの人間として考えていたさまざまな問題を、
こんな決まり文句で放り出してしまうようになる。
いや、役にたつ現実の見方にしても、いまうまくうっていることに甘え、
次にどうなるかという動きの中に身をおくことができなくなっている。

comments

いっぱい話がしたくなりました。
ここのコメント欄では足りない。。。
次に逢える時を楽しみにしています。
ちなみに・・・
糸井さんのほぼ日のホームページをご存じですか?
http://www.1101.com/home.html

いろいろです。

  • narumi
  • 2007年04月05日 14:11

naruさんさえ都合つけばえっちゃんに声かけるよ!
メールして。

  • hako
  • 2007年04月07日 22:20
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